久しぶりに長岡から柏に向かっている。上越新幹線に乗ると、車内誌のトランベールに連載されている、沢木耕太郎さんnの「旅のつばくろ」は必ず好んで読んでいる。
今月号のタイトルは「滝は流れる」。この文章の中で葛飾北斎の生きざま、死にざまに触れた記述がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なにより、九十歳になるまで絵を描きつづけようとした、その執念のような意志に激しく打たれる。死の床で「天があと五年の生を与えてくれたなら、本物の画工になれただろうに」と言ったという。芸術家として、これ以上の末期の言葉はない。
(沢木耕太郎、旅のつばくろより、抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もうすでに、偉大な芸術家として世界中に知られた北斎であるが、最後の言葉がもう少し時間があればと時間を惜しみ、悔やんでいる。技術者もある意味芸術家と似た部分がある。私は、やり遂げたと満足して逝くのか、それとも、やり残したと悔やんで逝くのか。どちらが望ましい終わり方かはわからないが、その日まで、悔やむことなくできることをやり遂げようと改めて考えさせられました。
(facebookから転載)